こんにちは、アラレぽです!
こんばんは、あるぴーです!
ということで「首を振って歩こう」第1話は、網膜色素変性症と診断されたご本人の気持ちと家族の気持ちの違いについて、お話していきたいと思っています。
正直1回目をどんな回にするかすごく迷ったのですが、
「網膜色素変性症です」と初めて診断された時の気持ち。すべてはここから始まったわけだからこの話は1番最初にしたい!
ということで決めました。
大切な人だからこそ話せない気持ちってやっぱりありますよね。
当事者同士じゃないと分かり合えない話や理解してもらえない苦しさ、本当の意味で気持ちを分かり合えるって本当に難しいことだと思います。
まえがきでもふれましたが、網膜色素変性症のご本人とその家族との気持ちにはやはり大きな違いがあります。
ご本人としては「何かできることはないのか?」と思いつつも、やはり告げられた現実に向き合うまでには物凄く時間がかかるんですよね。
逆に家族の方はというと、「何かできることはないのか?」と思いつつも、
「これ以上傷つけたくない」
「どうやって声をかけていいかわからない」
「どこまで深く触れていいかわからない」
と、寄り添いたくてもやり方が分からず踏み込めない状況になることが多いと思います。
でもお互いに共通して思っていることは、「何かできることはないのか?」という部分です。
だからこそ中々話せないお互いの気持ちを少しだけ知る機会になったらいいなと思っています!
あくまでも私たち夫婦のお話になりますが、「相手はこんな気持ちになっているのかもしれない」そんな気持ちで読んでいただけますと幸いです!
★網膜色素変性症に関する役立ちそうな情報や最新のニュースをまとめているので良かったらご利用ください!
※こちらのページは随時更新中です↓
★「首を振って歩こう」って何?という方は是非「まえがき」からお読みください!
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網膜色素変性症と診断された時の本人の気持ち
まずは、網膜色素変性症と診断された時の自分の気持ちについてです。当時のことを思い出しながら書いていこうと思います!
網膜色素変性症と診断された時本人の気持ち
- 記憶にないほど頭が真っ白になる
- 見えているからこそ信じられない気持ち
- 将来への絶望感・恐怖・怒り
記憶にないほど頭が真っ白になる
自分の気持ちの中で1番大きかったのは、とにかく頭が真っ白になったことでした。
つまり、思考停止状態ですね。
今思うと大学生の頃、友達と夜遊びに行く際「そういえば夜こんなに暗いのに皆よくスラスラ歩けるなぁ」と思う場面はありました。
ただ、自分にとってはその暗さが当たり前だったので、特に気にせず日常生活を過ごしていました。
しかし、大学を卒業し就職したあと目に少しずつ違和感を覚え、ふと仕事帰りに1人で眼科へ行ったんです。
自分はここで初めて「もしかしたら網膜色素変性症かもしれない」と診断されました。
衝撃があまりにも大きかったので正直そこからの記憶が全く残っていません。
当時病院で網膜色素変性症についての症状なども話されたと思うのですが、本当に頭が真っ白になり今思い出そうとしても思い出せないので、それくらい大きな衝撃だったんだなと思っています。
見えているからこそ信じられない気持ち
自分の気持ちで2番目に大きかったことは、自分が難病なんだと信じられない気持ちでした。
自分の場合、当時の症状はこんな感じでした。
・視力は両目ともに1.0以上
・視野が狭まっているという自覚症状はない
・夜薄暗い場所は確かに幼い頃から見えずらかった
・生まれつきの内斜視で2歳の頃に右目を手術
※斜視(しゃし):片目が正面を向いていても、もう片目が違う方向を向いてしまっている状態
・徐々に斜視も治り両眼とも視力は回復
・中学生の頃ボールが右目に当たり視野の一部が欠損
正直社会人になって、網膜色素変性症と診断されるまでは、中学生の頃にボールが目に当たったせいで見えずらいんだろうなと思っていました。
眼科にも昔からよく通っていた方だったので、大人になるまで診断されない(中途障害)という現実が余計に信じられなかったのかもしれません。
- 網膜色素変性症の視野狭窄の症状(視野が狭くなって見えない部分が出てくる症状)は通常、視野の周辺部分から中心に向かって進行していく(求心性視野狭窄)と言われています。
- 症状は人それぞれ異なりますが、輪状暗点(視野の中心部が見え、周囲が見えない)というのが特徴の1つで、自覚症状がなく、たまたま見つかるというパターンも多いそうです。
- ※1 参考ページ:病名から調べる「網膜色素変性症」|公益財団法人日本眼科学会
- ※2 参考ページ:視野検査の正常視野と視野の障害|看護roo!
今は実際に現実を少しずつ受け入れられていて、症状がゆっくり(5年単位でようやく視野狭窄の進行が少しだけ確認できる具合)で本当に良かったと思っています。
ですが当時は逆に、進行が遅いからこそ「自分が難病だなんて信じられない」という気持ちが大きかったんだと思いますね。
将来への絶望感・恐怖・怒り
自分の気持ちで3番目に大きかったことは、将来への絶望感・恐怖・怒りでした。
宣告された当時は、夜盲症以外の自覚症状があまりなかったので「まぁまだ見えてるし大丈夫だろう」と心の中で思いつつ、この病気について考えないようにしていましたね。
ただ、周りに同じ病気の人もいないので相談も出来ず、家族にも話せずにいたので、自分の気持ちを理解してもらえなかったのはずっとツラかったです。
「どうして自分なんだ」とイライラすることも多かったと思いますね。
「自分は本当に目が見えなくなるのか」
「自分の将来はどうなるのか」
という気持ちがいつも頭のどこかにあり、考えれば考えるだけ絶望感や恐怖が込み上げてきて不安になりました。
そんな時、また目に違和感を感じることが増えたんです。
実は最初に診断を受けた後、大きな病院も紹介されていたんですが、紹介された病院には行かなかったんですよね。
でも、もしかしたら「何かの間違えかもしれない」という気持ちを胸に、もう1度違う病院へ1人で行くことにしました。
ですが、その病院でも結局「網膜色素変性症」と診断を受けたんですね。
さすがに「やっぱりそうなんだ」と実感しました。2回目の診断を受けたことで、初めて家族にも話をしました。ただ、やはりこの時の記憶もあまり残っていません。
その後、両親と一緒に紹介された大きな病院へ行き、正式に網膜色素変性症と診断をされましたが、
「もう治らないんだから病院なんていかない」
そう言い放ち、1人で病室を出ました。
その後両親は先生に呼ばれ、この病気についてや今後のことについて話を聞いたそうですが、両親とはそれ以来この病気について話すこともなく、病院にもいかず、仕事をしながら自分のやりたいことをして生活を送っていましたね。
以上が当時の自分の気持ちです。
今思い出しても本当に記憶がとぎれとぎれなので、自分にとってそれほど衝撃が大きかったんだなと再認識しました(汗)
それでは次に、大切な人が網膜色素変性症だと知った時の気持ちについてお話ししていきたいと思います。
家族(大切な人)が網膜色素変性症だと知った時の気持ち
続いて、家族(大切な人)が網膜色素変性症だと知った時の気持ちについてです。
アラレぽの話に合わせて、自分が網膜色素変性症と初めて診断されてから約10年、最近はじめて聞いた両親の気持ちも少し書いていきたいと思います。
大切な人が網膜色素変性症だと知った時の気持ち
- 何が正解なのかわからない
- 気持ちを分かってあげられない苦しさ
- とにもかくにも心配だった
何が正解なのかわからない
1番大きかったのが、何が正解なのかわからないことでした。
まず、何をすればいいのかもわからなけらば、どんな言葉をかければいいのかもわかりませんでした。
情報を調べたくても調べたいキーワードが分からないし、勝手に動くのはどうだろうとか、色々考えましたね。
「あるぴーからのアクションを待つべき?こちらからなにか提案したほうがいい?」
もういったい本当に、何をどうすれば良いのか、何から始めればいいのか、何をするのが正解なのか全くわかりませんでした。
でも、何もせずにはいられなかったので当時はとりあえず「わからないことはまず調べないと」と思い、この病気について必死に情報を探しました。
調べながら出てきたわからないキーワードを1つ1つ調べて、また新しい情報にたどりついて。
わからない用語が出てきては調べ、また新しい情報にたどりついて。
数カ月間とにかくひたすら調べていく中で、現実的にできるコトや、相談できる場所、やっておいたほうがいいことなど、様々な情報を見つけられました。
ですが、「普段からこの病気について考えないようにしているあるぴーにとっては、病気について触れない方が良いのではないか」と思うと中々行動に移すことが出来ませんでした。
何か力になりたいけど当事者ではない本人が踏み込んではいけない領域という大きな壁が、はじめの1歩を踏ませてくれないそんな感じでしたね。
気持ちを分かってあげられない苦しさ
気持ちを分かってあげられない苦しさ、これも当時ツラいことでしたね。
「難病の人の気持ち」「難病 メンタルケア」「家族が難病になったら」
ネットで調べたり本を探したり、とにかく色々なことを調べましたが、調べていく中でわかったことは、当事者でない私があるぴーの気持ちを分かってあげることは一生できないということでした。
寄り添うことや想像することはできたとしても、やっぱり当事者でない人にとっては本人の気持ちを分かってあげることは絶対に出来ないんですよね。
もし目を移植が可能なら目をあげたいですがそれが出来ない現実。
何もできない無力さが今も本当に悔しいです。
とにもかくにも心配だった
あとは、もうとにもかくにも心配でした。
本当にいろんな意味での心配です。
当時、もし私が網膜色素変性症と診断されたらどういう気持ちになるか、あくまでも想像になりますが、あるぴーの視点に立ってその気持ちを書き出してみたことがあります。
もう書きながら涙があふれ出てきましたね。
胸が張り裂けそうになるほどツラかっただろうし、これからずっと闘いながら生きていくんだなと。
あるぴーのご両親も、
「今も心配だけど、当時はもうとにかく心配だった。
まさかうちの子が、という気持ちが今でもどこかにある。
変われるなら変わりたかった。
本人にしかわからないことだからこそ本人の気持ちを尊重したかった。
そしてとにかく笑顔を忘れず生きていてくれれば良いと思っていた。」
そうおっしゃっていました。
お互いの気持ちを知って今思うこと
ということで、私たちのお互いの心の中の気持ちを書き出してきました。
自分で言うのもなんだけど、本当に難しい問題だよね。寄り添って欲しい人もいれば放っておいてほしい、今までと同じように接してほしいと思う人もいると思うし
そうだよね。その人にとって1番良い方法を見つけるのが良いとは思うけど、その時のタイミングもあるだろうし。本当に難しいよね。。。
でも最終的に行き着く先は、お互いが本音で気持ちを話すことなんじゃないかな。それが1番大切なんじゃないかなと思った!
私たちの意見としては、お互いの本当の気持ちを聞く、つまりお互い「腹を割って話す」のが最終的に1番大切なのかもしれないという結論になりました。
今思うとたしかに私たちもスタートはそうだったかもしれません。
「話したいことがある。もしかしたら、嫌われるかもしれないし、今の関係が崩れるかもしれないし、傷つけてしまうかもしれないから、嫌だったら話さなくていいんだけど、、、心配だからもし嫌じゃなかったら話せる事だけでいいから話を聞かせてほしい。」
物凄く緊張しながら、この言葉をあるぴーに伝えた記憶があります。
ここから少しずつ、前へ進んでいけたようなきがする。「網膜色素変性症」っていう病気なんだってことを告白するってことは、自分がまずその病気だということを認めないと出来ない事だから本当に難しいと思うんだよ。自分が出来なかったからよく分かる
そうだよね。私は悩みに悩んで「伝えずに後悔するくらいなら伝えたほうがいいや」と思って行動したけど、今思うと自分勝手というか中々思い切った行動だなと思う(汗)手紙に書いた方が良かったかなとかも思うし、たまたま結果が良かっただけで。。。
方法はなんだっていいと思うよ!メンタルケアっていうのかな?ベタだけど誰かに話を聞いてもらうだけでもやっぱり心が救われるんだよ
・家族、友達、コミュニティーの方に話を聞いてもらう
・同じ病気を持つ方をSNS(TwitterやInstagram)を通じて探してみる
・相談支援センターなどを利用して相談してみる
今の世の中には自分と同じ状況の人とつながる方法はたくさんあります。
まずは、心身ともに時間をかけて少しずつ整理していってほしい。
これが私たちの今の思うことです。
まとめ|大切なのは「残りの時間」とどう向き合っていくか
自分に残された時間と向き合うこと
あるぴー的まとめ
網膜色素変性症とどう向き合っていくのか。
これは本人が生きていく中で1番大きな問題ですよね。
でも大切なのは、この病気と向き合うことよりも「自分に残された時間と向き合うこと」なのかなと思っています。
日常生活をしていくうえで、「網膜色素変性症なんだ」と実感することは正直ありますが、だからといってこの難病を受け入れたり、現実的に向き合うまでにはやっぱりものすごく時間がかかると思うんです。
自分も診断されてから10年以上経ちましたが、病気を完全に受け入れられているわけではありません
進行している方からみたら贅沢な話になってしまうと思うのですが、まだ見えているからこその苦しみってあると思うんです。
言葉が見つからないんですが、自分で自分を苦しめているというか。
いつまで見えているんだろう、ずっとこんな気持ちでいないといけないのか、っていう気持ちがあるにも関わらず、進行がゆっくりだからこそ心のどこかで諦められない気持ちがでてきちゃうんですよね
だから結局、気持ちが行ったり来たりして「考えたくない、現実逃避」みたいな状態が続くのがこの病気の特徴なんじゃないかなと。
もしかしたら、実際に視力も視野もなくなって目が見えなくなった時には受け入れざるをえないのかもしれません。
でも、実際にそうならない限り、その時の気持ちなんて絶対にわからないし、そもそも、実際自分の命の寿命が来るのが先か、目の寿命が来るのが先かみたいな事だと思うんですよね。
だからこそ「自分に残された時間と向き合う方が大切なのではないか」そう思いながら生きるようになりました。
人が生きていられる時間は限られていますし、もしかしたら明日突然命を落とす可能性だってあります。
だからこそ、この病気を早い段階で受け入れた方がいい、という考え方が理にかなっているのかもしれません。
ですが、病気の症状、生活環境、物の捉え方、感じ方の度合い、人生の歩み方はみんな違いますし、「残された時間をどのように使うか」はやはり自分次第です。
今の時間を大切に生きるのも良いし、時間がないと思ってすぐ行動するのも良い、生きているだけで幸せだと思うのも、治療法や治療薬の確立を願って待つのも、それもまた1つの方法です。
1つも間違ってなんかいない。
自分の身体も心もぐちゃぐちゃなのに、前へは絶対に進めません。まずは心と体を回復させる、ここからかなと思います
もし今、網膜色素変性症と診断されて、ツラい思いをしながらこのブログを読んでくれている人がいるのであれば、
「この病気を無理に受け入れる必要も向き合う必要もない」
自分はそう伝えたいです!
ありのままの本人を受け入れること
アラレぽ的まとめ
あるぴーのまとめが深すぎて泣きながら書いています(あるぴーの話を聞きながら私が書いているので)
私が個人的に大切だなと思っていることは「ありのままの本人を受け入れること」です。
あるぴーの話を聞いて分かる通り「当人が網膜色素変性症と向き合えるようにサポートをする」というのは、当人以外がサポートするべきことではないのかなと思うんですよね。
もちろんその部分をサポートしてほしいという方もいらっしゃるとは思いますし、私も最初は「こう考えたら立ち直れるかな」「病院で相談を受けたほうがいいのかな」「もしかしたらなにか治療があるんじゃないか」と、どうやったら網膜色素変性症と向き合えるのかを1番に考えていました。
その理由は、この病気に向きわないと先に進めないんじゃないかと思っていたからです。
でも、あるぴーと過ごしながら、色々と話を聞いていくうちに、病気と最終的に向き合うのは本人で、そこは第3者が介入してはいけない領域なんだと思うようになりました。(※まだお子さんが小さい場合など、ご両親が介入しなければどうにもならない場合もあるとは思います)
じゃあ本人以外の私たちには何ができるのか?
私達もこれまで、言い合いをしたり夫婦揃って目が腫れるほど泣いたりという日を過ごしてきましたが、
「本人の気持ちを大切に、ありのままの本人を受け入れる」
これが大切なんじゃないかなと思いながら今は過ごしています。
・心配だけど方法がわからない
・落ち込んでいる姿を見ているといたたまれない気持ちになる
・なんとか元気づけたい
この気持ちものすごく分かります
でも「生きているだけで凄いことなんだよ!とりあえず栄養剤のんで元気出して!」といったニュアンスの言葉をかけ続けるのはなんか違うなと思ってしまったんです。
それは、相手が最終的に思うことであって、私たちがかける言葉ではないのかなと。
あるぴーもこの病気と付き合ってもう10年以上になりますが、つい最近「多分障害者になった自分をまだ受け入れられていないんだよな」と言っていました
その想いはTwitterからでも伝わると思います。
会社で人手が足りず、毎日夜遅くまで残業続きのあるぴーが、涙を流しながら私に呟いた言葉があります。
「今仕事ができていることに感謝しているけど、目が見えている間に子供の姿を見ていたい」
この言葉を聞き私は「もう残業なんてしないで帰ってきて」と伝えました。
その後、なんとか子供との時間を確保できる環境を整えられたので良かったと思いこんでいたのですが、このツイートを見た時に、やっぱり常にこの病気と闘っているんだなと実感しましたね
でも、最後の前向きな1文で、「本当に強い人だな。これが10年の重さなんだな」と思いました。
だからこそ「受け入れる・向き合う・前向きに」という言葉は、当人でない私が生半可な気持ちで言っていい言葉ではない気がするんです。
じゃあ当人ではない私が出来ることはなんなのか?
それは、落ち込んでいる時、くじけそうな時、少し歩みだした時、そしてまた落ち込んだ時、「どんな時でも味方でいることを伝え続けることかなと思っています。
それが正解かどうかはわかりません。
でも、私の1番の目標は、あるぴーの命が尽きるまで、あるぴーのそばで彼の目になること。
それには、健康でいなければならないし、お金も稼がなければならないし、色々なことを学び知恵も付けなければいけません。
そしてなにより、あるぴーの笑顔を見る為には、私も我が子も幸せでいなければならないんです。
自分がやれるコトできるコト、きっと何かあります。
それをご本人と一緒に探しながら進んでいってほしいです。
おまけ|追記
網膜色素変性症は現在、完治させたり進行を遅らせたりする具体的な治療法が確立されていません。
しかし、この病気に関しての研究が進んでいることには間違いはありません。
つい最近もこんなに明るいニュースが飛び込んできました。
網膜再生の医療研究もどんどん進んでいて、先日の定期健診でも担当医の先生から「国家的なプロジェクトになりつつあります。国から凄いお金を頂いて研究しているので有望です。」と嬉しい言葉を聞くことも出来ました!
網膜再生医療プロジェクトは網膜機能を再生させる研究をしているプロジェクト(研究チーム)のことです
気になる方は下の記事にリンクをまとめてあるのでご覧ください↓
→網膜再生医療研究開発プロジェクトについて気になる方はこちらをクリック
最後に、私たち夫婦が大好きな「相田みつを」さんの本を紹介したいと思います!
「この自我この我執おれと一生付き合う相手」みつを
この自我、この我執を、どう運転してゆくか――。それが人生じゃないのかと私は思っております。
そして、その一生の運転手は自分です。
出典元:生きていてよかった (角川文庫) 相田みつを(著)
我執(がしゅう:シフ)とは?
1.自分中心の考えにとらわれて、それから離れられないこと。我を通すこと。また、その気持ち。「―にとらわれる」
2.仏語。人には常住不変の実体があるとする誤った考え。我見。
出典元:goo国語辞書
一生の運転手は自分かぁ。色変の人にとってはいろんな意味で深すぎる一言だと思う。病気も含めた自分を運転し続けるってことなのかなぁ。深い!
相田みつをさんの本には「いま、ここ」という言葉がたくさん出てくるんだよね。私はこの言葉が好き!「自分は今ここなんだ」って思える=自分の状態に気づけているって物凄く大事だと思うから
たしかに、車(自分)の不調に気づけないとさらなる事故につながるしね。いつも自分にぴったりな言葉を見つけられて沁みるんだよね。相田みつを記念館もまた行きたいなぁ~
立ち止まっても、何歩下がってもいい。
回復したら少しずつまた前へすすんでいけばいいのではないでしょうか。
必ず見える景色があります。
今ツラい想いをされている方へ何かが届きますように。
それでは、今日も自分にご褒美を。
このブログでは「目に優しい話」について綴っています!
もし良かったら覗いてみてください!
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